大猫の日々雑景

ぼんやり過ぎていく日々の備忘録

ぼ-と生きてます

12月に入った途端、背中を押されているというか

追い詰められた気持ちになる。

ことも多すぎる。

若い子が気を遣いすぎて、空気を読みすぎて

くたびれているのを見ると、かわいそうに思う。

わたしくらいの年になると、鈍感にしてないと

逆に生きていけないと思う。

明らかな嘘をいたわりと変換しないとやってけない

生きていけない

きっと すぐに忘れてしまう

腹の底にたまれるものよ

 

***

 

あと一年 半年とただ時間が過ぎるのを待っていたけれど

当のご本人さまが定年延長をいいだし

65まで働くとのこと

 

5年も待っていたらわたしはいくつだよ

そしてわたしはこの職場でできることは何一つない

このひとたちのためにできることは何もない

 

見え透いた嘘を

信じるふりをするのは苦しく 悲しい

 

職場の外に

楽しみをみつけないと

わたしには何も残らなくなる

 

困ったことに

いろんなことが起こりすぎるのか

(多分本当はわたしの頭が悪すぎる)

いろんな感情、思いが持続しない

すぐに忘れてしまう

次のことに気をとられてしまう

 

       おやすみ

 

 

 

 

 

 

ボトルレター

なかなかいろんな物事がうまく流れない。

こんな時は死んだふりをするのが一番だと思うが

それもうまくいかない。

 

事故以来、手首に巻いていた数珠も、いつの間にか

見当たらない。

 

瀬戸康史さんが好きなので出演されるものは押さえたいが、

ちと透明なゆりかごは辛いなあ。

なので見れずにいる。

 

バス停でぼんやり待っていたら、変なおじいさん二人組

につかまってしまった、

「あんたは悩みごとがある顔をしている。

なんとかなるから」

のようなことを繰り返し言う。

「なあ、兄さん」と隣のお兄さんに声かけながら。

お兄さんはうんうんとにこやかにうなずくだけ。

「あんたはおれの顔は見たことがあるだろう」とも。

誰やねん。

気持ちが弱っていたので、なんだかツボに入りそう。

そんなにわかりやすい顔してた?

でもなぜか、この邂逅が

とうになくなった祖父ふたりではないかと思ってしまった。

(しゃべっていた方が、父方の顔もみたことのない祖父

しずかにうなずいていたのが母方の祖父。)

 

お盆も近い時期。こんなことがあってもいいと思った。

 

 

とりあえず、これからはフルートにうちこもう、

わたしにはこれしかない。

 

        ***

 

先生さまのご指導も厳し。

ロングトーンのパターンを変えることに。高音強化を目指す。

リズム音痴だし、そんなに指が回る方ではない

というのは自分でもわかっている。

音には自負するものがあったし、取り柄は音だけなので

ソノリテなんかは苦になるタイプではないと思って

いたのだけれど、上には上がいた。当然か。

これからも、

がんばれる私でありますように。

 

           ***

 

ひとつ残った卵巣が働いているか、ちょっと怪しい。

なにしろ最後のホルモン注射は6月だったのに

いまだホットフラッシュがある。先日の診察でこのことを相談したら、

基礎体温をつけるようにとのこと。

まさか今更、基礎体温などつけるようになるとは思わなんだ。

(まあ、せっかくひとつ残したのに、

とがっかりしたから、確認のため。閉経したなら

それはそれで、もうあきらめ受け入れるしかないけど、

グレーは苦手なので白黒つけたい)

 

気分の浮き沈みも激しくて、落ち込んだ時の底が

一段と深くなった。

やたら涙もろい。

 

誰にあてたのかわからない、ボトルに詰めた手紙を海に

流すみたいに、ネットの海にこの言葉を流してみる。

 

手術終わりました

運よく、卵巣は片方残していただきました。

あまり痛みも残ってはいません。

 

これで楽になった!という気持ちと、

これで確実に世界の隅っこから落っこちたという思い

 

とった子宮と卵巣を見ていないので、

実感は薄い気がしますが、おなかの傷を見て

ああ、手術は終わったんだな、と思う。

今頃、子宮と片方の卵巣は医療廃棄物だろうか?と思ったりもする。

 

ひとつだけの卵巣で、いつまで女性ホルモンを頑張って

出してくれるのか。今度聞かなきゃね。

 

 

 

 

 

ぼんやり すぎゆく日々

わたしはフルート吹くのだが、先日のテレビで

世界的なフルート奏者が出演していた。

ほかの出演者からの質問で

「一番緊張した演奏はベルリンフィルのオーデションか」

という質問に対し

「昔は緊張していたが、音楽に敵はいないと思うようになって

しなくなった」ということを答えておられた。(大体の

意訳)

 

シランクスの最後のピアニシッシモを命が消えゆく様だから

消え果るまで吹く、何年も修行して身に着ける、と。

 

そりゃ、わたしのような凡人は努力しないとなるまい、

と思うが、(日々に追われてなか音楽に向き合えない。

→ここは小さな声でおもう)

 

それにしても、こんなすごい人のコンサートに2回も行けて

幸運だったな。

毎日フルートケースを開けて、その表面にいただいた

サインを見るたびに思い出すあの音。

 

***

 

病気に対しては気もちも揺れる~

これからどう生きようとか

真剣に考えるとくたびれるので、

どこかぼんやりと時間がたつのを待っている